阪神・淡路大震災30年
「こんなことをしている場合じゃないんじゃない」
30年前の1月17日早朝。当時、記者だった私は、朝駆け取材に出ていた。取材先の家を朝早く訪れ、朝の散歩や出勤に同行して話を聞くのである。緊急地震速報もスマホもない時代。神戸で大きな地震があったのは知っていたが、被害の様子がすぐにはわからず、自宅からふだんどおり取材に出ていた。地震から1時間余りたった7時頃、神戸放送局が大きく揺れ、泊まりの記者が飛び起きる映像が全国放送され、地震の激しさが伝わった。
写真提供 神戸市
取材先から大変な被害になっているのではと言われ、私は渋谷の放送センターに向かった。8時台以降はヘリコプターで、高速道路の橋脚が倒れた映像や、炎や煙が空を覆う映像が次々に放送された。
数日後、応援で神戸に入った。街中では高いビルが倒れ、大きく傾いていた。そして町がそっくり無くなるほどの火災の焼け跡。現代の日本で、最先端都市の神戸で、こんな甚大な被害が出るとは。
NHK神戸放送局も被害を受け、局舎は使えなくなっていた。当初は民間のビルのフロアに寝泊まりしていたが、地震から10日後、兵庫県庁に近い空き地にプレハブの取材拠点と仮スタジオができた。夜はプレハブ拠点の床に置いた寝袋で体を休めながら、取材放送にあたった。
最初の応援取材が終わって東京に戻る時、ひどく後ろめたさを感じるとともに、涙が出たのを覚えている。東京は何事もなかったかのように平穏だった。
2月、再び神戸に入ったが、しばらくして信用組合をめぐる不正融資事件の準備をするようにと呼び戻された。もう少し神戸に置いてくれと頼んだが叶わず、東京に戻った。それから間もなく、3月になると地下鉄サリン事件が起きた。オウム真理教をめぐる取材に忙殺されていったが、ふとした時に神戸のことが頭に浮かんだ。
当時、阪神大震災ほどの大地震は当面ないだろうとも思ったが、2011年に東日本大震災が起きた。2016年の熊本地震や、去年の能登半島地震など、その後も大きな地震が繰り返されている。
去年夏、宮崎での生活を始めた後の8月8日、そして今年1月13日、日向灘を震源とする強い地震が起きた。日本では地震と向かい合い続けざるを得ないことを改めて感じるとともに、ついつい忘れがちになりがちな備えの大切さを改めて強く思う。
当劇場も、訓練など日頃からの備えを肝に銘じていきたい。
この記事を書いた人
松坂千尋(まつざか ちひろ)
宮崎南高、東大卒。記者としてNHKに入局し、ニュース7NW9編集責任者、社会部長、編成、広報、経営企画、専務理事などをつとめ2023年4月退職。
2024年6月末から宮崎県立芸術劇場の理事長兼館長。