山野草を楽しむ

けんげきで働く人

新緑の季節に宮崎で生まれ、すぐに父の全国転勤で、大人になるまで都会と言われる場所で過ごしました。宮崎は、祖父母の家にお盆とお正月 帰省する場所でした。宮崎に帰るとゆったり時間が長いので、大好きな祖父と野山をお散歩したものです。都会で育ったわりに野山が好きなのは、そのしあわせな記憶からかもしれません。

野山を歩いていると、足元に自然の中で自生する山野草を見つけます。お花屋さんで出会う愛情こめて育てられた華やかなお花も素敵で大好きですが、慎ましやかに咲く山野草には自生の強さと自然な美しさがあり、清楚で可憐な姿にとても惹かれます。夏休みの自由研究は、大抵 祖父とつくった押し花ブックでした。

中学から7年ほど茶道を習っていましたが、山野草は 季節感を表現する茶花としてもよく使われます。茶花とは、お茶席に飾られる花のこと。茶道の文化で、千利休による「花は野にあるように」という教えからきています。自然の風景をそのまま摘んできたかのように生けるため、山に自生している山野草が選ばれることが多いです。茶花は、日本の細やかな四季のうつろいを表現しつつ、その生命力で以ってもてなそうとするものなのです。

そして現在では、時間を見つけては山方面へドライブし、山頂を目指すでもなく、森の中をのんびり歩いて足元に咲く山野草、苔むした森、とても大きな樹木、いろいろな岩などを楽しんでいます。
自然の中に身を置いているときは、頭が空っぽになって、いま 目の前のものに気持ちを向けられます。こんなわたしでも、日頃 いろいろ絶え間なく考えているんだな− とはっきり気づくのです。自然が与えてくれるこの空っぽ時間は、わたしにとって、とっても大事な頭とこころの休息。仰々しさを好まない軽やかさ、野山にひっそりと自力で生育している山野草のように、たゆまず、へこたれず、また頑張ろうと思えます。
そうして感動する名前も知らない山野草を写真に収めて、帰って調べてみるのもまた面白いものです。

最後に。
いまNHKの連続テレビ小説で話題の、日本の植物分類学の父とされる牧野富太郎さんの素敵エピソード。
明治時代の植物学者は堅い方が多いそうなのですが、彼はとてもおしゃれな洋服を着て、『植物は恋人だから、恋人に会いに行く気持ちで正装している』と語っていたそうです。

いつか 父の故郷 高知県にある牧野植物園にも出かけてみたいなと思っています。

この記事を書いた人

褒められてのびる子。
施設利用課に所属。
coffee < 美味しいもの < ドライブか映画 < 旅行 の順で自分のご機嫌をとっています。
苦手なものは 夏の暑さと蚊。バテる自信しかありません。

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