何かが変わる、ということ
リア 墓の中にいたほうがまだしも楽であろう、そうして裸の生身をこの厳しい寒空に曝しているよりは。人間は唯これだけのものなのか?この男の事をよく考えてみるがよい。蚕に絹を借りず、獣に皮を、羊に毛を、猫に麝香を借りていない。はっ!この三人はどうだ、いずれもごまかしの混ぜ物、貴様だけが正味そのものだ。人間、外から附けた物を剥してしまえば、皆、貴様と同じ哀れな裸の二足獣に過ぎぬ。脱げ、脱いでしまえ、お前の着ている借物を!おい、このボタンをはずしてくれ!(着ているものを脱捨てようと藻掻く)
道化 まあ、おっさん、落着いておくれよ、泳ぎには今夜はちとまずい!
<第3幕第4場より> シェイクスピア『リア王』(福田恆存訳、新潮文庫、1967年)
老いた身を長女と次女のもとに寄せたものの裏切られ、悲痛な仕打ちを受け、そして自分を心の底から大切に思ってくれていた三女にした自分の仕打ちを思い、絶望に打ちひしがれ悲嘆に暮れるリア王が、嵐吹き荒び雷轟く最中、絶叫する。
『リア王』は、私が初めて読んだ戯曲でした。
それまで小説すらまともに読んだこともなかった私には、身を切るほどに訴えてくるリア王の存在感、雨が打ち付け風が容赦なく吹き付ける中、天を見上げおそらく全身の血管を浮かび上がらせるほど力強く絶望を叫ぶ様子に、参ってしまったのでした。
そして、いままでずっと王のそばにいた道化が、役目を終えたかのように眠りにつき、ひっそりとその姿を見せなくなる……なんとも言えない気持ちにじんわりと侵され、この時を境に、私の中で、確かに何かが変化したのです。
以前は図書館で司書をしていました。人と本との出会いを、微力ながらお手伝いしたかったのです。だいぶ昔に読んでタイトルを忘れてしまった本を一緒に探させていただいたり、セレンディピティに繋がればと展示を試行錯誤したり、子どもたちに絵本を読み聞かせしたり。一冊の本との出会いが、自分がそうであったように、その人に変化をもたらしたら……、そんなことを考えてはワクワクしていました。
前の職場が図書館とホールの複合施設だったので、縁あって演劇ワークショップの担当をさせていただくことに。講師は本田誠人さんをはじめとしたユニット「あんてな」の皆さん。約20名の子どもたちが参加し、約半年の期間にわたりワークショップを行い、最後に作品を上演するというもの。懐深く子どもたちと真摯に向き合って優しく包み込む本田さんとともに、“演劇”のワークショップという非日常的な体験を通して、回を重ねる度に目に見えて変わっていく子どもたち。親御さんからも、家庭や学校での様子も変わったという話を聞き、この出会いは確実に、子どもたちにとって変化をもたらし、そして私の中でもまた何かが変化したのでした。
そして今、劇場で働いています。舞台芸術は私たちを非日常の世界に誘ってくれます。その非日常にからだを曝す時、私たちの何かが変わるのではないかなと思っています。演奏家の集中を切らさぬ息をのむ迫力ある生演奏、楽しげに楽器で会話をするかのように紡がれていく一曲一曲、肌感覚や息づかいすら同調してしまうのではないかと思う身体表現、数々の思いを孕んで空間に響く台詞の数々、演奏家や俳優と共有する同じ時間と空間……、枚挙にいとまがありません。
舞台芸術との出会いは、もちろん人によって差違はあるかと思いますが、きっと変化をもたらしている。会場入口でお客様をお迎えし、終演後にお見送りしていてそう感じます。
連綿と続く日常に差し込まれた非日常は、きっとこれまでの日常とこれからの日常との分岐点になって、いままでとはちょっと違った日々になる。そうなったらいいな、そんな思いでこの仕事をしています。
「世界が少し広くなる。」
舞台芸術との出会いが、そんな体験になることを切に願っています。
劇場は来月から休館となりますが、県内各地でさまざまな事業を実施しますので、ぜひご来場・ご参加ください。お待ちしています!
リア 騒ぐな、騒いではならぬぞ、垂幕を引け。そうだ、それでよい、夜が明けたら、夕食を摂ろう。
道化 それなら俺は、日が昇りきったら、寝かせて貰おう。
<第3幕第6場より> シェイクスピア『リア王』(同上)