【音楽祭】ライブラリアン、永沼栄子さんインタビュー

インタビュー

ライブラリアンってお仕事、皆さんご存知でしょうか。図書館職員、司書も意味しますが、オーケストラなどで楽譜の手配・管理・調整などを行う専門家も意味します。今回、宮崎国際音楽祭で長年ライブラリアンを務めてくださっている永沼栄子さんにお話を伺いました。

―― 普段の活動は東京中心ですか?

そうですね、東京がほぼほぼメイン。昔はオーケストラでライブラリアンをしていて、ツアー公演でいろんなところに行ったり。これまで、東フィルやN響、日フィルとかいろいろなところでお世話になっていたけれど、新日本フィルが一番長かったですね。今はフリーランスで活動しています。

―― ちなみにライブラリアンはどのくらいされているんですか?

もう30年ぐらいになるかな。ライブラリアンを始める前は個人で写譜をされている方のところで働いていたんですよね。その方がお仕事をやめるってなった時に、新日本フィルが声をかけてくださったんです。

▲インタビュー直前の作業途中の机。公演が終わった楽譜を、曲ごとに分けています。

―― 写譜って具体的にどんな作業なんですか?

例えば、スコアが作曲家から来ると、昔は今みたいにパソコンではなかったから、全部手書きだった。それを楽器ごとに分けたり、見やすいように新しい譜面に書き写していく。楽器によっては、三小節何もない部分がないと演奏家が自分でめくれないので、そういうところに注意して。パソコンが導入されるようになって、そういうことを知らない人が写譜をすると、びっしり書かれて、「これじゃめくれない!」って全ページ書き直すとか、よくありましたね。弦楽器は2人で1つの譜面を見るけれど、管楽器の人は1人で1つの譜面を見るから、そういうところに神経をつかいますね。

―― そこから新日本フィルに?

20年ぐらいいましたね。音楽祭として長く関わるのは、この宮崎国際音楽祭が初めてだったから大変でした。

―― どうして宮崎国際音楽祭に?

前任の方が、音楽祭のライブラリアンを辞めるとき声をかけてくださって。たまたまです、巡り合わせに恵まれているんですよね。

▲撮影:K.Miura 第14回(2009年)、アイザックスターンホール下手で撮影。左奥にいるのが永沼さん。

―― ライブラリアンをしていて、楽しいことって何ですか?

それはね、リハーサルから聴けることですね。音楽ができあがっていく過程が聴ける。これが結構面白いんですよ。それで本番を迎えて、お客様がいっぱい拍手してくれると、良かったなぁと思う。やりがいにもなりますね。

―― 音楽祭は第何回から?

第14回、2009年の頃からかな。正直、その時は一回しか呼ばれないと思って、記念にTシャツ買ったんですよね(笑)。大きい花の柄がプリントされたTシャツ。海外の指揮者の方からスコアがうんぬんと言われて、あたふたと慣れないながら頑張ったことを今でも覚えていますね。

▲第14回音楽祭のTシャツ。

―― 音楽祭が30回を迎えたことについて

30年続くというのは、すごいことだと思う。それは、劇場のスタッフの皆さんの努力の賜物。コロナ禍をきっかけに断念するところが多かったので、その時も頑張って続けてきたっていうのは大きい。続けないと、宮崎の人たちにも浸透しない。本当にみんなすごいなと思う。最初は室内楽音楽祭だったのが、オーケストラにシフトしていって、そこから10年以上も続いていて、すごいですよ。

―― 音楽祭期間中はどのようなスケジュールになるんですか?

やっぱり演奏家の皆さんよりは早く着いていたいから、大体リハーサルの2時間ぐらい前には劇場に来るようにしていますね。そして、皆さんが帰って落ち着いてから帰る、という感じですね。

―― ライブラリアンのお仕事は、どのような流れで行っているんですか?

まず、音楽祭事務局からこういう楽曲をやります、という連絡が来て、その楽曲が売り譜かレンタル譜なのか、どこの出版社が出しているかを調べるところから始まりますね。事務局に相談しつつ、楽譜の用意を進めていきます。そろったら、今度はオーケストラの編成を確認して、抜け落ちている部分がないか、しっかりそろっているか、乱丁などはないかを全部調べます。そして、コンサートマスターにボウイングをつけてもらいます。オーケストラって、弦の人たちの弓の動きがそろっているでしょ?どこでアップするのか、ダウンするのか、それがボウイングですね。そして、ヴィオラやチェロ、コントラバスの首席の人たちにも見てもらったりして。そして、公演ごとに楽譜を組んで、音楽祭のカバーに挟んで。

▲たくさん書き込みがされている譜面。いろいろな演奏家の手にわたってきたことが見て取れます。“V”“Π”の記号が、弓のアップ・ダウン。

▲宮崎国際音楽祭のカバー

年によっては、時々カバーが足りなくなるときがあるので、一公演終わったらバラして、また次の公演のために組んで、といった作業がありますね。次、そのまた次、とリハーサルも行われていくので、そのスケジュールに合わせて組んでいきます。

▲演奏する曲目の楽譜が、カバーに挟まっています。

▲楽譜の左上に通し番号を記入し、紛失防止をしているそう。

―― 宮崎に来て、楽しみにされていることとかありますか?

音楽祭としては、無事に終わることを楽しみにしていますね(笑)。ご飯は、ホテル近くにある「アンの家」によく行きますね。あとは劇場近くのおそば屋さん「吟匠庵」。日々のスケジュールの合間を縫って、行けたら良いなと思っています。

―― 永沼さんから見た、宮崎の音楽祭の特色は?

やっぱり演奏家の皆さんの集中力がすごいですよね。リハーサルの時間が短い。それでも1つの音楽をつくりあげていく。本当にすごい。それは皆さん実力があるからこそだと思います。すごい経歴の方々が集まっている。それは、徳永二男前音楽監督をはじめ、これまで関わってきた演奏家の皆さんのおかげだと思います、いい人が集まっていると思います。

―― これからの音楽祭について

みんなが音楽に興味を持つきっかけになればと思います。音楽家が好きなものばかりだと、マニアックなものになってしまうので、誰でも楽しめるようなプログラムとかあるといいですよね。テレビとかで、なんとなく聴いたことのあるような曲とか。聴いたこともない曲にも、聴いたことのある曲にも興味を持ってもらえるとうれしいです。

永沼さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

Tatsuro Aoyagi(あおやぎ・たつろう)
辰年、大晦日生まれ、やぎ座、三男、2児の父です。東京生まれ東京育ちで、紆余曲折あり宮崎生活7年目。東京生まれ東京育ちと言うと、信じてもらえません。

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