須く(すべからく)一歩進もう! 知ってますか高木兼寛?

館長のつぶやき

高木兼寛(たかき・かねひろ)。

メディキット県民文化センターがある文化公園の一角には、この高木の像が立っています。

 

宮崎出身で、「ビタミンの父」と言われていることは知っていましたが、東京の慈恵会医科大学や日本初の看護学校を作ったこと、宮崎神宮が今の形になる際に貢献していたことなどについては、数年前まで知りませんでした。この高木兼寛を取り上げた劇が、4月3日と4日、当劇場で上演されます。

 

高木が生まれたのは1849年、今の宮崎市高岡町です。薩摩藩の蘭方医に師事し、戊辰戦争には薩摩藩軍医として従軍しています。その後海軍に入りイギリスに留学、最優秀学生として表彰され、帰国後は海軍で力を発揮し海軍医総監をつとめます。

劇は高木がイギリスから帰国したところから始まり、当時軍で多くの患者を出し国民病と言われていた「脚気(かっけ)」と戦う姿を中心に描かれます。脚気はしびれやむくみ、悪化すると心不全などを起こす病気で、今でこそ栄養の偏りなどによるビタミンB1の欠乏が原因と分かっていますが、当時はそこまでは解明されていません。高木は海軍で食事の改善を進め、脚気患者を激減させる大きな成果を出しますが、ビタミンという概念がない時代のことであり、医学的根拠がはっきりしないなどの理由から、陸軍などとの論争に翻弄されます。

スピード感のある劇で、セリフも膨大、伊藤博文や森林太郎(鴎外)も登場するなど、当時の時代状況もわかります。高木が慈恵医大や看護学校などに奔走する姿も描かれます。

 

この劇、宮崎市や宮崎商工会議所、医師会、大学、メディア、当劇場などで実行委員会を作り、宮崎で上演されることになりました。

「病気を診ずして病人を診よ」患者本位のこの言葉も高木兼寛のものです。劇の題名「須く、一歩進む」は、「当然、なすべきこととして、是非とも一歩進みましょう」というような意味でしょうか。

新年度が始まる4月初め、宮崎が生んだ偉大な人物に触れてみてはいかがでしょうか。

「須く、一歩進む」公演チラシはこちら>>>

この記事を書いた人

松坂千尋(まつざか ちひろ)
1957年宮崎県延岡市生まれ。小学校から高校まで、宮崎市、日南市、東郷町(現日向市)在住。
2024年6月末から宮崎県立芸術劇場の理事長兼館長。

その他の記事を見る