木喰さんと弥勒さん

けんげきで働く人

宮崎県の観光スポットといえば、どこを思い浮かべますか?

定番は、やはり「青島」や「高千穂」あたりだと思いますが、このブログでは、宮崎市からほど近い「西都市」の推しスポットをご紹介したいと思います。

西都市といえば、「西都原古墳群」が有名ですよね。古墳が点在する広大な敷地に、季節の花が咲き乱れ、春には「菜の花と桜とツツジ」、夏は「ひまわり」、秋には「コスモス」と、一年中楽しませてくれるスポットで、私も大好きな場所です。そして、11月上旬には、古墳群で開催される「古墳祭り」も魅力のひとつです。都萬(つま)神社から古墳群まで続く「記紀の道*(古事記、日本書紀の神話に登場する伝承地をたどる道)」を、たいまつを掲げ行進する「たいまつ行列」や、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの恋物語を、神々や古代衣装をまとった市民が演舞する「炎の祭典」など、炎のゆらめきとともに、何とも言えない幻想的な世界へと誘ってくれる、素敵な祭りです。

そんな、観光資源の豊富な西都市ですが、実は、あまり知られていないおすすめの観光スポットがあります。それが、「日向国分寺跡」です。
「跡地だから今は何もないんでしょ…」と思われるかもしれませんが、跡地の一角に、「木喰五智館(もくじきごちかん)」というお堂があります。

こちらが、「木喰五智館」です。

この「木喰五智館」の中には、木喰上人(もくじきしょうにん)が江戸時代後期に造った「五智如来像(ごちにょらいぞう)」が安置されています。

写真では伝わりにくいかもしれませんが、クスノキを素材とした木製の仏像で、1体の高さは、まさかの3メートル超え!実物を目の前にすると「なんでこんなところに巨大な仏像が5体も!?」という驚きとともに、その存在感に圧倒されるんです!!

にわか知識でお恥ずかしいのですが、調べたところ「木喰上人」というのは個人の名前ではなく、「木喰戒(もくじきかい)」という厳しい戒律を守っている修行僧の呼び名だそうです。22歳(数え年、以下同)で仏門に入った木喰さんは45歳で五穀や肉を断ち、火と塩を使わず、山菜や木の実などを食すという「木喰戒」を受けて修行しました。そして、50代半ばから生涯を終える93歳まで全国を巡りながら、人々の悩みを聞き、救済の願いを込めて1000体以上の仏像を彫ったんだそうです。 

「火も塩もダメってことは、生の山菜や木の実をそのまま食べていた?」と想像しただけでも恐ろしい修行ですが、そのほかにも「着物は一枚だけしか着てはならない」、「寝具で寝てはいけない」などの厳しい戒律もあったとか(諸説あり)。平均寿命が65歳だった江戸時代後期に93歳まで生きたというだけでも凄いのに、北海道から鹿児島まで、徒歩で旅した総距離は約2万キロ。さらに仏像を1000体以上も彫るという、とても人間業とは思えない超絶ストイックな人生ですよね。

「木喰五智館」を訪れるまで全く知らなかったのですが、木喰上人が宮崎県(日向の国)にやってきたのは、70代前半。村人から大変慕われた木喰さんは、懇願されて日向国分寺の住職となります。住職になって4年目、国分寺は火事で全焼してしまうのですが、寺を再建する折に造られた仏像が、この立派な「五智如来像」というわけなんです!

さすがの木喰さんでも、70代で巨大な仏像を制作するのは大変だったと思います。私の両親も70代なので想像してみたのですが…いや、ありえないですね(笑)。一体どのように彫っていたのか気になりませんか?
言い伝えによると、水につけることで木が柔らかくなり、彫りやすくなるそうで「近くの池に丸太を浮かべて彫っていた」とのこと。木喰上人の生涯を描いた絵本≪木喰さん≫の中でも、村人が大きなクスノキを運ぶ姿や、木喰さんが月明かりの下、池に丸太を浮かべて回しながら彫っている姿が描かれています。「寺の復興を願いながら、こんな風に仏像を彫っていたのかな…」と、絵本を手掛かりに想像を巡らせると、益々ありがたみが増してきます。

この≪木喰さん≫という絵本は、お堂内に置いてあった絵本なのですが、 作・絵が、西都市出身の画家・弥勒祐徳(みろくすけのり)さんという、なんとも贅沢な絵本です!木喰上人の足跡を辿る地図や略年表などもあるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

<あとがき>によると、絵本を手掛けた弥勒さんと「五智如来像」との出会いは、中学時代。弥勒少年が学校の行き帰りに雨宿りで立ち寄っていたのがこのお堂でした。弥勒さんが図工の先生になってからは、デッサンの練習に「五智如来像」を描いていたそうです。
今年、2月20日で104歳を迎える弥勒祐徳さん。ご長寿という面でも木喰さんと重なりますが、ひたむきに芸術と向き合い、情熱を注ぐ。これも共通点であり、お二人ともその生き方や人柄がそのまま作品に反映されていると感じざるを得ません。弥勒さんも木喰さんの生き方にシンパシーを感じて、絵本を制作されたのではないでしょうか。

さて、弥勒さんといえば、第26回の宮崎国際音楽祭からメインビジュアルとして作品を使用させていただいていますが、今年の第28回音楽祭のメインビジュアルはもうご覧いただきましたか?今回は、鮮やかなブルーが印象的な作品「群像」(油彩/1975年)を使用させていただいています。ぜひ、音楽祭の情報とあわせて、チェックしてみてくださいね♪  ○第28回宮崎国際音楽祭HPは>>こちら

最後に、歌人としても知られる木喰さんの和歌をご紹介したいと思います。余談ですが、小泉元首相が在職中に発表した座右の銘でもあります。

早口言葉みたいですが(笑)、木喰さんが生きた江戸時代といえば天災による飢饉が頻発していた時代。全国各地で悲惨な光景や人々の苦しみを見てきた木喰さんが晩年(83歳~)行き着いた仏像の作風は、丸い顔に笑みをたたえた「微笑仏(みしょうぶつ)」でした。人々の心が丸くなる仏像づくりを目指していた木喰さんの気持ちが伝わる歌です。

西都の「五智如来像」は「微笑仏」ではないのですが、眺めていると、かすかに微笑んでいるように見えてきます…とあれこれ書いてきましたが、百聞は一見にしかず!まだ訪れたことのない方は、ぜひ一度足を運んでみてください。

この記事を書いた人

Satomi Fukuoka(ふくおか さとみ)
「橋の向こう」といわれる地域に在住。現在、企画広報課に所属し、音楽事業を担当。
オタク気質で好きなものが見つかると、すぐ沼る傾向あり。
いま、ひそかに注目している人は、無駄づくり発明家の藤原麻里菜さん。

その他の記事を見る