【音楽祭】ステージマネージャー、猪狩光弘さんインタビュー

インタビュー

音楽祭を長年に支えてくださっている人にお話を伺っていますが、今回はステージマネージャーの猪狩光弘さんにお話を伺いました。

▲リハーサル前にスケジュールなどの説明をする猪狩さん

―― お仕事は東京中心になるんですか?

住んでいるのは埼玉で、東京の仕事もあるけれど地方の仕事も多いね。例えば、昨年度に札幌交響楽団のステージアドバイザーとして呼ばれて月に2~3週間行っていて、定期演奏会とかの主催事業の時に行く、という感じかな。あと、昨年の香川の「アフィニス夏の音楽祭」に行って、今年もありますし、「東京・春・音楽祭」にも携わっているし、今年青森県で始まる「青い海と森の音楽祭」にも呼ばれているので、地方の仕事は多いですね。

―― 2020年度日本製鉄音楽賞の特別賞をステージマネージャーとして受賞されていますよね。

自分の師匠に宮崎隆男さんという方がいて、長い間お世話になっていたんだけれど、その師匠が1991年度にステージマネージャーとして初めてそういう賞をもらっていて、その約30年後に自分がその賞をいただけるというのは、すごく感慨深かったですね。ステージマネージャーとしてその賞を受賞したのは師匠と私の2人。

―― あらためて、ステージマネージャーってどういうお仕事なんですか?

オーケストラの場合は、セッティングから始まって、指揮者や演奏家が入ってきたら、演奏会の進行が主な仕事ですね。セッティングというのは、演奏家・楽器の配置、椅子や譜面台をどこに置いて、といったこと。リハーサルの開始前に、オーケストラの皆さんにその日のスケジュールを説明して、リハーサル中の演奏家の様子を見て配置を調整したりしていて、本番では舞台袖にいて、客席や演奏家の様子を見ながら、演奏会がうまく進むように、舞台への出入りのタイミングを決めたり。劇場のスタッフが非常によくやってくれているので助かっています。

▲舞台図面に楽器や譜面台の位置などが記されている。

―― ステージマネージャーを始めてどのくらいになるんですか?

もう長いですね。出身は北海道帯広市で、ステマネになるつもりで上京したわけではなくて。最初、東京交響楽団で楽器運搬のアルバイトを7年ぐらいやって、その後新日フィルでアシスタントステージマネージャーとして入って。師匠の宮崎隆男さんがサントリーホールの初代ステマネになってからは、チーフになって2000年まで。2001年からはサントリーホールの第3代ステマネとして、2019年までやって、全部足すと50年以上だよね。

―― 楽器運びのアルバイトからステマネになっていったということですか。

運が良かったんだよね。1972年に日本フィルと新日フィルに分かれたとき、新日フィルのステージマネージャーになったのが宮崎隆男さん。彼に紹介してもらった東京交響楽団でステマネをしていたのが、宮崎国際音楽祭で長年ステマネをしていた上原正二さん。お二人にとてもお世話になって、縁にとても恵まれていると思う。

▲椅子や楽器を動かした後に、指揮者が見えるかなど見え方を確認。

―― ステマネをされていて、楽しいところ、やりがいに感じていることは?

メインは音楽で、音楽って素晴らしいじゃないですか。それを裏からお手伝いできるのはやりがいだよね。あと、リハーサルで音楽が変わっていく様子が聴けるし、演奏会が終わっても、また次の演奏会の練習がある。次から次に、新しいことが始まっていく。そこが楽しいよね。特に宮崎国際音楽祭のオーケストラは素晴らしいし。

―― 宮崎国際音楽祭のステマネを始めたのは?

2017年の第22回です。今年で9年目、来年は10年目、あっという間だね。

▲撮影:K.Miura 2017年、本番直前の舞台袖で舞台のモニターを見つめる猪狩さん。

―― 猪狩さんから見て、宮崎の音楽祭の特色は?

優秀な演奏家ばっかりですね。今年オーケストラのメンバーがだいぶ変わったけれど、昨年までもそうだったけど優秀な人が多いから、出てくる音楽も素晴らしい。

―― 30回を迎えたことについて

大きな節目で、オケのメンバーも変わって、一つの区切りだよね。この音楽祭がまたどんどん続いて、これから40年目、50年目と続くのは、楽しみだよね。メンバーに若い演奏家が増えたけれど、素晴らしいし、アカデミー出身の演奏家も増えていって、本当に素晴らしい、グレードの高い音楽祭だと思う。今回、チョン・ミョンフンさんがすごくて、演奏家の皆さんにとっていい時間になったんじゃないかな。オケの皆さんがすぐ反応しているから、チョンさんも音楽にすごく集中できているんじゃないかな。細かいことを言わなくても、ちょっとした一言二言でオケの音が変わっていく。それは、やはりオケの皆さんが優秀だから、そういうことができているんだと思いますね。30回目に、チョンさんに来てもらえて、本当大きな節目だよね。

―― 音楽祭期間中、お食事ってどうされてるんですか?

あまり外で食べないんだけど、ラーメン食べに行ったりするね。劇場近くの「栄養軒」とか。

―― 宮崎に来て楽しみにしていることありますか?

なかなか暇がないんだよね、ホテルと劇場の行き来ばかりで。去年までは、音楽祭で見知ったメンバーが多くて、そういう人たちに会えるのは楽しみだったよね。今年はメンバーが変わったから、来年からまたそういう人が増えていくと思うと、これから楽しみだよね。

▲リハーサル後に椅子の位置を微調整する猪狩さん。

―― 音楽をされていたんですか?

高校生の時からチェロをやっていた。ちゃんと習おうと思って、真面目に勉強した時期もあったけど、今はなかなか触らないね。コロナ禍の時に、久しぶりに触ってみたら楽しくてね。今もやればいいんだけれど、ボケ防止でやろうかな(笑)。

―― 猪狩さんの好きな曲について教えてください

若い頃はマーラーとかベートーベンとか大好きで、バッハってあまり聴かなかったんだよね。最近というかここ10数年だけれど、バッハって素晴らしいなって。バッハはどの曲もいい。いろいろなジャンル書いていて、素晴らしいものばっかり。サントリーホールにいたときは、いろんな音楽家が来て、いろんな形態の音楽会があったから、そういうのに携わっていて楽しかったよね。それこそヨーヨー・マとかいろんなチェリストが来てバッハの組曲を全部やったり。オーケストラだけで固まっているんじゃなくて、いろいろな形態の音楽会に携われると楽しいよね。

猪狩さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

Tatsuro Aoyagi(あおやぎ・たつろう)
辰年、大晦日生まれ、やぎ座、三男、2児の父です。東京生まれ東京育ちで、紆余曲折あり宮崎生活7年目。東京生まれ東京育ちと言うと、信じてもらえません。

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